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アートを通して創造的な生き方のスキルを提案するNPO法人ライフスキル研究所のブログ。ワークショップやセミナー案内、子育てや次世代育成についての気になる話題、心と体のためになる情報などをお届けします。ライフスキル研究所は、アートセラピーの技法に基くアートワークの普及・開発、子どものためのアートスペース運営などを行うNPO法人です。

散歩
2009年06月25日 12:54:21 [理事長メッセージ]
 ほぼ毎日散歩をする。近くの公園がコースになっているが、5月に入ると公園はみるみる様相を変えた。4月までは赤茶けた土のグランドだったのに、今では雑草生い茂る草の海と化し、風が吹くと草の原全体が波のようにうねっている。その風景の中を、『秘密の花園』の主人公メリーになったつもりで歩いた。彼女が始めてイギリスにやって来た日に見たヒースの草原ってこんなのだっただろうかと思うと、小さな公園の中で異郷体験をしたようで楽しかった。あるときは又カントがイメージに浮かぶ。哲学者のカントの散歩好きは有名で、毎日厳密に一定時間に正装して同じコースを歩いたそうだ。近所の人々がカント先生を時計代わりにしたといううわさも、カントの厳しい自己管理力がうかがえて興味深い。そんな日は背筋が思い切り伸びる。
 先日は散歩中に、長女から聞いたスペインの地方都市(グラナダ?)での珍しい散歩習慣の話を思い出した。夕方になるとホテル近くの街の人々は、美しい衣装やアクセサリーを身につけ着飾り、家族そろって夕暮れの街をそぞろ歩くのだそうだ。おしゃれをした人々が、親しげに小さい声で語り合いながら町を行く姿を想像すると、たとえようもなくロマンティックでフェリーニの映画を見るような気分になれた。それにしても私自身は何と速足でせかせかと歩くことだろう。豪華に散歩を楽しむ彼の国の人々とは、共有できない文化の差異が苦々しい。
 ともかく何の関連もなく、思いつくことにまかせてぼんやりしながら速足で歩くのだが、散歩道では頭に浮かぶことがすべて紙風船のように軽く、自由にクルクル舞い上がるのがおもしろい。


監督の采配
2009年05月21日 13:28:58 [理事長メッセージ]
 阪神が低迷している。
 数多のファンはヤキモキして、選手の起用、コーチ陣の問題など、どこかを組み変えれば浮上できるのではないかと、頭の中で監督のように思い巡らしているに違いない。
 私は根っからの野球好きなどではなく、家族の熱烈なファンぶりにつられて無責任に観戦するつられファンに過ぎない。しかし昨日の野球などみていると、T選手の交替の仕方などに、監督として選手の活かし方に問題はないのか、T選手の士気は低下しないのか、選手と監督の信頼関係が傷つかないのかなど気になってしまい、ろくろく野球を楽しめなくなっている現状だ。


大人は子どもに何をしている?
2009年05月11日 14:06:54 [理事長メッセージ]
 4月10日の朝日新聞で次のような記事を目にした。「オウンゴール故意に6発」、この見出しにつられて読み進むと、日本サッカー協会がフットサル大会で選手に故意のオウンゴールを指示したとされる中学生チームのコーチ(教頭)を、12月のサッカー関連活動停止処分にした…という内容だった。詳細をインターネットで調べてみると、読売新聞の記載があり、さらに驚くべき事実が分かった。
 オウンゴールを繰り返した理由は、このチームが一位で予選通過した場合、準決勝で、過去の対戦で苦手としていたチームと対戦する可能性が強いことから、チームのコーチが予選リーグで大敗し2位となるように『オウンゴールで敗退するしかない』と選手に自ら負けること指示したわけである。しかし皮肉なことに、予選は思惑どおり2位になったが、決勝トーナメント初戦で別のチームに敗れ結局大会出場を逃したと、記されていた。また、なぜこのような事態が発生したのかというと、同校のチーム監督は、非常勤講師であり、他の試合の審判をしており指示の現場におらず、試合前に事情を知ったが、講師と教頭という関係から注意することはできなかった…と書かれていた。
この記事は、日本社会に巣くう対等でない上下関係があらゆる場で、脈々と組織を動かしていることを白日にさらしている。序列の中でものを言えない大人たち、また大人の不条理に対して不満ながら従い、決勝トーナメントで、士気を喪失したであろう中学生たち、このような関係が社会には蔓延する。
 恐らく多くの人がこの記事を目にしながら、自分の人生にもこんなことがあるなあと心の底でつぶやいたのではないか。近年食品産地偽装事件に似た構造を見る。上司の不条理な言葉に黙して従う大人たちは、自分の家庭でこどもたちに、どのような背中を見せているのか想像に難くない。
 私たちは子どもと大人の方々にアートセラピーの実践を通して、自分らしい生き方を可能にするスキルを伝えるNPO活動を続けている。嘘のように聴こえるかもしれないがこの現代社会においても、自らの人生で自分の願いを活かして生きてもいいという事を知らない大人たちが多いことに驚かされる。人は知らないことには非常に臆病になる。彼らは自分の無力さを自嘲しながらも、社会で生き残るには、立場の上の人の言葉に従うしか無いと思っている。だから知らずに、子どもたちにこの社会で自分の、希望や願いを実らせる道があるとは思えない、というメッセージを無言で伝えているのだ。大人たちはそれが間違いだと気づいてほしい。生き方は、その気になれば色々探せるし、確かに楽ではないが充足を求める気持ちがあれば、心を殺さなくても済む方法はある。沈黙の背中で、子どもの未来への努力や理想を壊さないでほしい。子どもを潰せば、未来が潰れるから。私たち大人も否という場面で否といえる力をつけていくべきだ。


感謝の気持ち
2009年03月05日 09:59:07 [理事長メッセージ]
 住宅地から池田行きのバスに乗ったら、絵画教室の卒業生とパッタリであった。彼は現在高校生、迷惑でないかなと思いつつ話しかけてみると、きっちりした応答が返って来て終点まで話し込んでしまった。今日は土曜日で、これから卒業した中学校のサッカー部の試合の応援にでかけるらしい。手には、サッカー指導の専門書が握られていた。彼は「いままですごくサッカー部の先輩たちにお世話になったので、部へのボランティアを自願した」と語り、指導の手伝いもしているということだった。先輩や親兄弟への感謝が、会話から滲み出ていた。感謝という気持ちほど、今日、人との関係において忘れられているものはないと常々感じていた私は、彼の成長振りが嬉しかった。
私はふと教室で幼い彼が初めて顔を描くことができるようになった場面を思い出した。教室に来て1年近く、彼は大好きな粘土でのお団子遊びと、線遊び落描き遊びに明け暮れた。自由画をテーマとする私たちの教室では、子どもの自発性を待ちながら指導を控え、様子を見ることにしている。ところがある日突然、描きなぐったように見える幾つかの〇の中に家族すべての人の顔が出現したときの私の嬉しさ驚きは忘れられない。自発的に人の顔が現れたのだった。それから勿論、頭足人が出現したのはいうまでもない。ゆっくりと彼は彼の成長のリズムを楽しみ大きくなった。
 今日教育の成果を非常に効率よく求める風潮があるが、人の熟成には時間がかかるものだ。点数などで測れないものが成長の本質であることを教育者が忘れているとしたら、そこに何が育つのか、誰か教えてほしい。
(理事長 小村チエ子)


カウンセリングから見る母と息子
2009年02月26日 12:12:00 [理事長メッセージ]
母が様々な問題をかかえ孤立して悩む場合、中学生くらいになった子がいつの間にか状況を察して母親をかばうのを、何度かカウンセリング場面で見て来た。「お母さん、高校出たら僕が働くから、そんなに無理してお父さんと暮らさなくてもええんやで!別れてもええんやで!」この言葉には暗黙のうちに“僕が面倒見るから”というニュアンスが含まれていて、子どもを巻き込んでしまったことに気づいた母をさらに苦しめた。父と母の関係に対等性が少なく、家の中の大抵の決定事項に意見を控えてしまう母親、または抑圧的な父親に耐える母を見ている長男の言葉であることが多い。私のカウンセリング歴でごく初期1995年頃のことである。
 最近苦しむ母親にこのように語る息子の存在に出会わない。親の思い子の思いが共に時代の中で変わって行く。善し悪しは別にして子どものためを思い、秘めやかに辛苦し、自己犠牲も辞さない親の気運は薄くなった。家庭には、外から全くうかがい知ることのできない闇があることが多い。これまでの社会ではそれを、母親が子のためを思い引き受け、闇の中で絶望がはびこらないようにした。このしくみを特に母にのみ期待する社会の問題性は問われねばならないものだが、引き受け手のない闇が膨れ上がり、家族が飲み込まれる危険が野放しにされているのが現代であろうか。 (理事長 小村チエ子)


子どもからみえる社会
2009年02月19日 12:52:56 [理事長メッセージ]
ふとしたことから子どもの絵にかかわり、長く子どもと接する立場になった。頭の中には彼らから聴いた言葉が、通奏低音のように響いている。
1995年に『子どもの絵からのメッセージ』を出版したのは、あまりにその声が大きくなり過ぎてしまったので、まとめて本の中に収まってもらった。子どもたちと対話していると、彼らは一体世の中の矛盾や嘘をどこまで見抜いているのだろう?と思えて、恐ろしくなることがある。
 5年前のある日教室で一人の少年がこんなふうに私に語りかけた。
 「おれもう生きていたくないよ、世の中って腐った汚い水の入った小さいお盆の中でみんな一緒に踊るみたいなものでしょ、ぼく一人で一生懸命やっても、どうにもならないよ」。
 そのような言葉に出会って、答えるすべを失いそうになりながら、なるべくごまかしではない言葉を探して返すしかなかった。
あなたならわが子からこのような言葉を聞かされると、どう答えますか?悲観的になってはいけないと彼をさとします?希望を与えるような言葉を探します?絶望したくなるこの世のことを彼とともに嘆きます?
ともあれ、会話ができたらいいですね。  (理事長 小村 チエ子)


アートセラピーって何だろう?
2009年02月12日 11:19:30 [理事長メッセージ]
 先日ライフスキルの集まりで、ある会員さんから次のような話しがあった。『知人に、私たちの活動を説明する必要があって、「アートセラピーの技法を用いて自己成長に役立つような活動をしている」と答えたのだけど、数日後その彼女からインターネットを通して、「アートセラピーを調べてみたら、病気の方々を対象にした技法なのね!私にはあまり関係ないみたい」と返されたというのだ。ここで我が会員がさらに懇切丁寧に知人の方に活動説明をしてくれたことを信じるが、それにしてもアートセラピーの社会的認知度はかなり低い。“アートセラピーって何だろう”と意欲的に興味を示してくださる方にも、部分的な情報しか行き渡らない現実だ。
 アートセラピーは、今日医療の現場で治療や予後の回復のために用いられるだけではなく、もっと人々の生活に近いところで人の生きる力をつけるためにも使われている。今年度(第41回)の芸術療法学会大会テーマ『芸術療法に求められるもの―よみがえる生命力』が示すように、疲弊した現代人に必要な生命力を左右する鍵を握るものかも知れない。
 実際に私たちのNPO活動では、自分の不愉快の原因を認識し解消することや、気力アップ、コミュニケーション力をつけるなど、生き方探求の方向にアートセラピーのスキルを応用している。体験したい方々にもっと情報をお届けしたいものだ。


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